アフタードールズ

16.嫌な予感

やがて、コジローはひとつのシャッターの前で足を止めた。
 表通りから一本入った場所に、その建物はあった。

 裏路地でありがちな、アーティスティックなスプレーアートの施された寂れたシャッターの横に、煙草屋の窓口のような小さな窓が付いている、コンクリート造りのガレージのような建物。内側にはカーテンが掛けられ、中の様子を伺うことはできない。
 あからさまに怪しい店の窓ガラスを、コジローは躊躇うことなく慣れた動作でノックしていた。
 しばしの沈黙。
 反応は、ない。

「ねぇ、コジロー」

 一体ここに何の用が――

 そんな言葉は、次の瞬間勢いよく開いた硝子窓の内側から、大量に飛び出してきた銃口の数々に掻き消された。ライフルや猟銃だろうか。穴の数は全部で十二。一際大きなものでは、バライティー番組で見るバズーカの経口によく似たものもあった。
 息を呑む胡蝶とは反対に、コジローは冷静だ。咥えた煙草を落とすことなく、微動だにしない。銃口を向けられても全く動揺しないのは、彼が危険な生き物たちと日夜戦っているが故なのだろうか。

「――ベン」

 溜め息混じりに、男が声を漏らす。

「今日は、また一段と派手な出迎えだな」
「おお、その声はコジローじゃねぇか! なんだ、脅かすなよ」

 しゃがれた声の後、ゆっくりと銃口は納められる。小窓から顔をのぞかせたのは、この世界の中ではやけに現実感のある顔だった。お世辞にも決して、整った顔とは言えない。黒い口ひげをたたえた、南米系の中年男。
 人の良さそうな笑みでコジローと世間話を繰り広げているあたり、悪い男ではなさそうだが、武器を突き付けてきたも紛れもなくこの男なのだ。気を許すにはまだ早い気がした。

「近頃は物騒でよぉ。こうでもしねぇと、おじさん不安なんだわ」
「客をビビらせちゃ、本末転倒じゃないのか」
「またまた~、これくらいで腰を抜かすような腑抜けはうちの店にこねぇよ」

 「だっはっは」と大きな口を開け、中年男が笑う。
 苦笑をこぼし、コジローは背後で動けずにいる胡蝶を親指で指して見せた。初めて、男と視線がかち合う。ようやく胡蝶の存在を認知したのか、男は頭を掻きながら、気の抜けた笑みを零した。

「……あー。これは完全にビビらせちまったよなぁ。……つーか、女の子を連れてくるなら先に言っとけよ! 怖いオジサンだって誤解されちまうだろうが!」
「実際怖いオジサンだろうが」

 男が言葉に詰まる。咳払いの後、男は武小窓から片手を差し出した。数多の皺が入った、職人の腕だった。

「俺はベントゥーラ。長ったるいだろうし、ベンでいい。武器商人をやってるもんだ」
「えっと……。あ、有村胡蝶(こちょう)……です」

 恐る恐る差し出した腕を、ベントゥーラは人の良い笑みで握り返してきた。こうしていれば、インド料理屋の店主にも見えなくはなかった。これでターバンを巻いてくれれば完璧なのだが。

「ふーん。これが、お前のご主人様か……。もしかしてお前、ロリコン?」
「殺すぞ」

 手を離し、ベンの姿が一瞬窓際から消える。
 次に男が姿を現したのは、持ち上げられたシャッターの内側だった。コジローの言葉に特に気にしたそぶりも見せずに、男はケタケタと笑い、つかみどころがない。

「お嬢ちゃんも入んな」

 歯をむき出しにしたちょび髭男の誘いに、胡蝶はありがたく乗らせてもらうことにした。
 最後に入ったコジローがシャッターを閉じれば、店の中が暗闇の包まれる。
 壁の蝋燭達に火が灯った瞬間明らかになった店の全容に、胡蝶は感嘆の息を漏らしていた。

「で? 今日は何をお探しで?」

 部屋中の窓が覆い隠された青い空間。その一面の壁に、硝子ケースに入った様々な武器が飾られていた。
 昔おもちゃ屋の一角で見た、モデルガンの売り場を彷彿とさせる。
 しかし、ここにあるのはプラスチックを装填する玩具ではなく、青い炎を放つ殺傷能力を持った本物の武器だった。
 ベントゥーラの不気味な笑みに、青い影が落ちた。

「お嬢」

 見上げた先の眉が、申し訳なさそうに下げられる。

「少し仕事の話をしてくる。すぐに済ませるから、ほんの少しだけ待っていてもらってもいいか?」
「うん、大丈夫」

 頷いた胡蝶に、コジローはホッと安堵の表情を浮かべていた。
 そもそも、ここに着いてきてしまったこと事態、胡蝶の身勝手なのだ。本当は胡蝶のことなど気にせず、ゆっくり商談に専念できた筈だというのに。

「私のことは忘れて、ゆっくりしてきて」
「すみません」

 深々と頭を下げ、コジローはベントゥーラと共に店の奥へと消えていった。

「その辺の椅子に適当に座っておいてくれ! ……つーか、お前が「お嬢」なんて単語使うと、ホント洒落になんねぇな」
「そうか?」

 去り際に、そんな会話が胡蝶の耳を掠めた。どうも、コジロー本人には全く自覚がないらしい。自分と同じ考えを持っていてくれる人がいることに安堵する一方で、胡蝶はしみじみとコジローの天然さを噛み締めていた。
 やがて靴音は完全に消え、胡蝶は一人ショーケースの中に取り残されてしまった。
 部屋の中央に背中あわせで二つのソファーが置かれている。これに座って、じっくり重器を見る客も多いのかもしれない。
 指示された通り、大人しくソファーの一つに腰掛ける。天井から吊るされた青い炎が、胡蝶の視界を優しく染めていた。
 おもむろに、硝子のショーケースの中に飾られた銃達に視線を這わす。輝きを放つ黒い塗装に、炎の揺らめきが反射していた。思わず目を奪われる。
 手に取ろうとは思わなかった。
 コジローが所持していた小柄なものから、先程ベンが突きつけてきたバズーカのようなものまで、飾られている銃には様々な大きさがあったが、銃以外の凶器は見当たらない。
 ゆっくりしてこいと言ったものの、案外待っているのは暇かもしれない。

「本当、悪趣味よねぇ。……アタシ、武器って嫌いだわ。キャバリアーはもっと嫌い」

 唐突に、可憐な声が胡蝶の鼓膜を掠めた。蟻走感(ぎそうかん)が背を駆け抜けていく。背中越しに、気配を感じる。
 ゆっくりと、慎重に振り返っていく。
 先程まで誰もいなかった筈の反対側の椅子に、一人の少女が腰掛けていた。
 胡蝶に背を向けた、黒髪の少女。足元に届くほどに長い髪のひとふさを、大正時代の女学生のように、薄桃色の大きなリボンでまとめあげている。

「特に銃は大嫌いよ。これ程風情のないものはこの世に存在しないと思うの」

 優美な動作で、赤い着物の少女が振り返る。身長は、胡蝶と同じ程。

「アタシ達はただ、遊んでいるだけ。それを邪魔するなんて、本当に無粋。私の可愛い玩具を壊すだなんて……、ああ、本当に忌々しい」

 精巧な作りの、少女人形。真っ赤な唇で、自身の人差し指を柔らかく喰む。長い黒髪で右目だけが隠れていることに、酷く違和感を感じた。

「アンタもそう思うでしょう? 有村胡蝶ちゃん」

 呆気にとられた胡蝶の顔を捉えた瞬間、真っ赤な唇が綺麗な弧を描く。
 おもむろに銃の一つに手を伸ばす。銃身へ細い指が触れた瞬間、小さな赤い炎が灯る。徐々に熱は黒い鉄の塊を蝕んでいく。次に胡蝶が目を開けた時、少女が触れていた黒のアサルトライフルは、ドロドロに溶け、原型を失っていた。
 それを見て、満足気に笑う。
 ぞっとするほどに、完成された笑みだった。同性である胡蝶ですら、目を奪われ、視線を外せなくなる。
 和服を纏った少女、という点なら紬も美しく、マリアもロップも充分過ぎるほどに完成されている。だが、この名も知らぬ少女には、彼女達とは違う魅力があった。
 触れれば壊れてしまいそうな、そんな儚さが、脆さが。砂の城のような、束の間の芸術品。散りかけの桜の木のような、幻のような現実感の無さ。それでいて、どこか妖艶な雰囲気をも漂わせる、奇妙な魔力をも纏っている。
 赤い瞳に捕らわれて、抜け出せなくなる。

  絶対に関わらないほうがいい。まずい。本能では彼女が危険な存在であることを、十分すぎるほど認識できている。だが、動けない。金縛りにあったかのように。

「こんなところに来るのは本意じゃなかったんだけど。ふーん。そっか。……まぁ、悪くはないわね」

 体を後ろに向けた胡蝶の頰に両手を当て、微笑む。
 閉鎖されているはずなのに、どこからともなく暖かな風が吹き込んでは名も知らぬ少女と、胡蝶の髪を、柔らかくかき乱していく。

「あ、なたは」
「アタシ? ……アタシは小梅(こうめ)」

 三日月型に細められた赤い目に、視線が釘付けになる。
 目を奪われ、離せない。妖艶に、笑う。
 喉が凍りついたように、機能を失った。

「灰は灰に。塵は塵に」

 一際強い風が吹く。隠されていた少女の片目が、白日のもとに晒される。
 そこにあったのは、仮面だった。金の刺繍を施された、オペラマスクのような黒い仮面。
 仮面の内にある赤い目が、一際輝きを増す。

「……邪魔なものは、全部燃やしてしまいましょう」

 燃え上がる、歪な炎。
 放たれたのは赤い赤い、灼熱の閃光だった。

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