アフタードールズ
24.地獄の一丁目1
「お嬢、本当に大丈夫なのか」
コジローに肩を貸してもらい、一階の縁側まで連れて来てもらう。
小さく頷き、胡蝶はおろおろと落ち着かないコジローに小さく微笑みかけた。
「うん。少し痛むけど、歩けないほどじゃないから」
現地にはいけないが、せめて音だけでも聞きたい。そう願ったのは胡蝶だけではなかったらしく、立ち並ぶ家々の窓は開け放たれており、歌姫の声を聞く準備が万全の態勢で整えられていた。
テレビもラジオもないこの世界において、歌姫のコンサートは人形達にとっても一大イベントなのだろう。
コジローの並び縁側に腰掛け、コンサートの開始を心待ちにする。マリアはここまで声を届かせてあげると約束してくれた。観覧車までは、かなりの距離がある。現実では無理な話だが、ここは人形達の世界。
マリアと胡蝶がそう願えば、きっと思いは叶えられる。
「マリアのコンサートの時は、いつもこんな感じなんだ」
スーツの両ポケットに腕を突っ込みながら、視線は街を映したまま小さく息を吐く。
「紬さんとロップ、喜んでたね」
いつもより、心なしか人々の表情は明るい。財布のひもが緩む、という言葉がこの世界において正しいのかどうかはさておき、いつもより繁盛しているようだった。胡蝶がここに来る前にちらりと顔をのぞかせた時には、歌姫のコンサートに行くからとっておきの服を買いたいというご婦人から、テンションが上がってうっかり縫い目をひっかけてしまったとかいうおっちょこちょいな人形まで、沢山の客で賑わっていた。今もきっと、てんてこまいになっていることだろう。
手伝おうかという胡蝶を店から遠ざけたのは、他ならぬ店主である紬その人だった。しばらくはのんびりしていなさいな、と優しくしてくれた紬には感謝してもしきれない。
「食材の稼ぎ時だからな」
苦笑いがコジローから溢れ出た。
「やっぱり、手伝った方が良かったかな……」
「お嬢、自分が怪我人だという自覚はあるのか」
怪我人とはいっても、歩けないほどではないのだ。
皮膚が焼けただけ、足首から膝までにかけて、ちょっとばかり火傷しただけ。痛むことは確かだが、紬曰くコジローの看病のおかげで、見た目の割に痛くはない。火傷の時はとにかく冷やせ、というのは胡蝶が通っている高校の保健の先生のセリフだが、本当にそうだと思う。
「俺が、不甲斐ないばかりに」
包帯の巻かれたあしくびに、しゅんと項垂れる。
「痕が残ることを気にしてるんだったら、そんなの別に」
「問題あります!」
通行人の視線がコジローに集中する。小さく咳払いし、コジローは腕を組み直した。
「とにかく、しばらくは安静にしていてくれ」
頼むから、と続けれられば何も返すことができない。頷けば、コジローはあからさまにホッとした様子で胸を撫で下ろしていた。
次第に通りから人が消えていく。もうすぐコンサートが始まるのだろう。ちらりと横顔を盗み見る。タバコを吸う素振りはない。もしかしたら、気を使ってくれているのかもしれない。
横顔は険しい。昨日から、コジローは何かを思い悩んでいる節がある。
クリスのことは、コジローには話していない。マリアでさえ、殊勝な顔をしていたのだ。何も言わない方がきっといい。胡蝶はうっすらと最悪の結末を予測していた。
王とクリスが胡蝶へと向けるまなざしは、あまりに酷似しすぎている。まだ、確信があるわけじゃない。なんとなく、そう思うだけ。
それなのに、今ここでコジローに対して口にすることは躊躇われた。
けれど、もし。
一度、深呼吸する。
もしも、クリスが本当に王(キング)だったとして、胡蝶には一体何が出来るのだろうか。
その時、振動を感じた。
体を芯から突き動かされる、力強い魂の鼓動。それを感じ取ったのは胡蝶だけではなかったらしく、コジローはサングラス越しに遠くに見える野外ステージの屋根を眺めていた。
始まった――!
瞳を閉ざし、全神経を耳に集中させる。
言葉ではなく心を、マリアの歌には不思議な魅力があった。
上手いとか下手だとか、そういう次元ではない。本当に上手い人は意味なんて分からなくても人を感動させることが出来るというのは、真実だったのだといやでも思い知らされる。
マリアだからこそ歌い上げられる、不思議なメロディー。
誰も完璧に彼女の旋律を真似することなど出来ない。マリアだからこそ出来る、紛れもないマリアだけの心(うた)だった。
酷く優しく、懐かしい。胡蝶に向けられた、真っ直ぐな心の声。それが、途切れることなく何曲も続く。
歌が聞こえなくなっても、しばらく胡蝶は目を閉じたままだった。自分の人形が奏でてくれた音楽に、しばし酔いしれる。
「とっても素敵だった」
ゆっくりと瞼を押し上げていく。
「あぁ」
見上げた先のまなざしは、酷く優しい。
「俺も、マリアの歌は好きだ」
それまでの不安が嘘のように、穏やかな気持ちになる。
「午後の部までは少し時間が空く。一旦中に戻ろう」
「そうだね。……あ」
コジローの腕を借り立ち上がったところで、胡蝶が思い出したように呟く。
「そうだ。紬さんたちは忙しそうだし、今日は私がお昼を」
「お嬢」
コジローの声に鋭さが混じる。
「怪我人だという自覚を」
「わ、分かってる。でも大丈――」
「お嬢」
先ほどの声よりもあからさまに。こめかみに青筋を浮かべ、つり目がちの瞳を更に釣り上げる。
「お嬢は休んでいてくれ。今日の昼なら俺が」
「料理できるの!?」
大声を上げてから、コジローの腕を掴んでいない方の左手を口にあてがう。気分を損ねた様子はないが、心外そうに反論を口にするコジローは少し動揺しているように見えた。
「俺だってそのくらいは」
「どの口が言う」
廊下の先から顔をのぞかせたのはロップだった。縁側まであからさまに辟易した顔のまま、駆け足によってくる。今日も紬の作ったフリフリのワンピースを纏っているが、相変わらず口調も動作も男らしい。今日のロップのワンピースは水色のエプロンドレス。紬が胡蝶に見せてくれたファッション雑誌の服とよく似ていた。頭にはいつもつけているボンネットの代わりに、メイドがつけているようなヘッドドレスが乗っている。
「お店の方は大丈夫なの?」
「ああ、一通り落ち着いた。それより胡蝶、絶対にこいつだけはキッチンに立たせるなよ」
「……料理、下手なの?」
「いや、別に下手という訳では」
「ああ、そうだとも! こいつの場合上手いとか下手とかそういう次元じゃない。あれはもう劇物だ! 貴様、紬が死んだらどうするともりだったんだ!」
「いや、あの時は手違いで」
「砂糖と塩を間違えるとかどこのドジっ子だ! そんな初歩的なミス今時小学生でもしないぞ! というか、どうしてレシピ通りに作れない! 何故レシピにない食材を勝手に入れる!?」
「オリジナリティ」
「そういうのはいいんだ!! せめて食べれる物を作ってくれ! 食べ物の神様が泣くぞ!!」
それほどまでに酷いのなら、ある意味食べてみたい気がする。怖いもの見たさというやつだ。
胡蝶が呆然としている間にも、二人の論争は続く。ああだこうだと言い合いをするも、最終的にコジローはロップに完膚なきまでに叩きのめされていた。
「とにかく、こいつをキッチンに立たせ――」
ロップの言葉を遮るような形で、巨大な爆発音がした。振動が、軽く地面を震わせる。よろめいた拍子にコジローの腕を強く掴む。見上げた先の顔は、酷く強張っていた。三人の視線は一斉に音の根源へと向けられた。コンサート会場から、煙が上がっている。ついで、響き渡る絶叫。そして、聞き慣れた獣の咆哮。亡霊たちの嘆きの声。
「――始まった」
胡蝶を抱きとめる腕に、力が込められる。
コジローの静かな呟きを合図とするように、それまで晴れ渡っていた空に雲がかかり始める。ついで、どこからともなく姿を表す、白い、霧。二つの赤い月と霧にしはいされる、亡霊たちの宴の時間。
霧の中に、ぽつぽつと赤い灯が浮かび上がり始める。最初は数えるほどしかなかった光は次々と数を増す。表通りは阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
「おい、冗談だろ。まだ夜までには時間が――!」
ロップが叫ぶと同時に、霧の中から一体の亡霊(ゴースト)が飛び出してくる。胡蝶を抱きとめるのとは反対の腕でスーツの内ポケットから銃を取り出し、亡霊の頭を撃ち抜く。青い炎が燃え上がり、胡蝶に食らいつこうとしていた白いウサギの人形は、小さく悲鳴を上げ地面へと叩きつけられた。
「ロップ、早くシャッターを――!!」
「分かった!」
次々と湧き出してくる亡霊達を打ち抜きながら、徐々にコジローに支えられたまま後ろへと下がっていく。耳元で、コジローの舌打ちが聞こえた。向かってきた少女の人形を打ち抜いた瞬間、ロップがシャッターを下ろす。次に向かってきたのであろう人形がシャッターにぶつかる衝撃音が、胡蝶の鼓膜を揺らした。
「コジロー、お前は裏を。私は表を見てくる」
「分かった」
コジローを最後に一瞥し、ロップは大急ぎで店先へと戻った。
「紬! 無事か!!」
幸い、紬には傷一つない。状況を把握出来ていないのか、その場に呆然と立ち尽くしていた紬は、自身の人形を目に留めた瞬間ほっと息を吐いた。
「ロップ! 一体何が……!」
「しゃがめ! 紬!!」
その時、店先から一頭の人形が姿を現した。胸元にピンク色のリボンをつけたテディベアが、紬の頭めがけて一直線にこちらへと向かってきていた。土間の上にいる紬がしゃがんだのと、ロップが畳を足で裏返し、愛用のマスケット銃を取り出したのはほぼ同時。
壁に打ち付けられた亡霊が、口から火を吐きながら紬とロップを忌々しげに睨みつけている。
「うちの店に土足で上がり込むとは、いい度胸だ」
引き金に指をかけ、銃口をまっすぐに向ける。躊躇いは、なかった。
肩に銃を担ぎ上げ、発射。
「その度胸は認めよう」
青い炎が熊の人形を燃え上がらせる。
絶叫を上げ、燃え上がる人形に銃を下ろす。杖のように銃を地面に下ろし、振り返る。
「紬、無事か?」
しゃがんだまま、ロップを眺めている紬がいた。
「か……」
「おい、大丈夫か?」
左肩の銃を担ぎ、紬へと近付いていく。差し伸べた手を恐る恐る握りしめる少女の指先は、微かだが震えている。
普段は鈍感だが、やはり先程のは堪えたらしい。ロップが眉を吊り下げどうなぐさめようか悩んでいると、紬は突然下げていた顔を上げた。その瞳は、ロップが困惑する程度には輝いている。
「かっこいい!」
「はぁ!?」
腕を引かれ、助け起こそうとしていたロップの方が土間へ倒れこんでしまう。何故、助けようとして二人とも土間の上に座り込んでいるのか。そして、どうして人形の姿の時にされるようにワシワシと頭を撫でられているのか。
意外に元気そうなことには安堵するが、何故そこからこうなっているのか皆目見当がつかない。
「もう最高! いつ見てもかっこいいけど、今のは最高! もう一回! もう一回今の台詞言ってみて!!」
「は、はぁ!?」
意味が分からない。今のどこがどう主人の琴線に触れたのかは分からないが、どうもお気に召したらしい。
「言わない! 絶対に言わないからな! 」
「えぇ~!? どうして!? 」
「ど、どうしてもだ!! それよりシャッターをだな……!」
「あぁ、そうだったわねぇ」
呑気なのか激しいのか、よく分からない。だが、立ち上がった紬はけろっとしており、店先のシャッターを下ろす少女は浮き足立っているようにすら見える。
「なぁ」
スカートの裾を払いながら立ち上がったロップが声をかければ、和服姿の主人はシャッターを閉める腕を止め振りかえり、なぁに?と惚けた声を漏らす。
「お前、少しは怖かったりだとか……しないのか?」
「あら、どうして?」
小首を傾げ、紬は相変わらずのんびりとしている。
「ロップがいれば、何も怖いものなんてないでしょう?」
何も返す言葉がなかった。ただ黙って、微笑み続けている主人を眺めることしかできない。
「……そうだったな」
静かに笑って頷けば、それだけで気持ちは十分に伝わる。らしくない神妙な空気に、頭を軽く搔きむしる。しっかりしているのか気が抜けているか、いまいちわからない主人だ。それでも、この少女の人形であることを後悔したことはないのだから、きっと紬とは相性がいいのだろう。
ガラス戸に何かが激突するも、紬は軽く「あらまぁ」と声を上げるだけだ。大方ゴーストだろう。溜息を吐きながら再度マスケット銃を担ぎ上げた少女に対し、ぶつかってきたそれは慌てたように釈明した。
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