アフタードールズ

25.地獄の一丁目2


 シャッターの外側にあるガラス戸を何度もノックする、黒い毛玉。人形の姿をしてはいるが、見覚えのある顔をしていた。何より羽織っている真っ赤なチェック柄のベストが、この前歌姫と共に訪れた黒髪の少年のものと一致する。
 ふわふわの肌からは所々綿がはみだしており、纏うベストも薄汚れてはいるが見間違う筈がない。ゆっくりと銃口を下ろしていく。急いでシャッターとガラス戸を開けてやると、それは転がり込むようにして店の中に滑り込んできた。

「お前は、この前の」
「コジロー、さん、は……! 」

 地面に突っ伏した二頭身のうさぎに、ぎょっと目を見開く。両手にはどこかで見たような拳銃が握られていた。丁度裏の戸締りを終えた、コジローと胡蝶が店先に顔を出した。

「……マリアとレンはどうした」

 胡蝶を畳の上に座らせ、コジローはクロの側に膝をついた。瞬間、涙を流しながらコジローの足にしがみ付いた小さな人形に、その場の空気が凍る。
 爆発音は、コンサートの会場の方から響いてきた。
 胡蝶は口元を押さえ、泣き続けるクロを凝視する事しか出来なかった。

 とても、現実の事とは思えない。外を満たす霧も、闇に覆われた空も、全てが遠い世界のことのようだ。コンサートが終わったら一目散に駆けつけるんだから、そう微笑んでくれた人形は、もういない。どこにも居はしない。
 外に響き渡るのは、歌姫の優しい心(こえ)ではなく、亡霊たちの叫び声。
 笑い声の消えた、暗く閉ざされた霧の世界。

「クリス、が」

 ぴくり、とコジローの眉間が動く。

「クリス、が……!」
「もういい。それ以上言うな」

 クロの手から仲間の形見をを受け取り。立ち上がった狼の背筋は酷く伸びている。コジローは始末しに行く気だ。
 王を、亡霊に成り果てた自身の同胞を。
 騎士(キャバリアー)としてではなく、胡蝶の人形として。

「――お嬢とクロを頼んだ」
「おい、コジロー!!」

 サングラスを折りたたみ、ポケットに入れながら、男は玄関のシャッターを潜り抜けた。

 ロップの叫びを無視し、そのまま霧の中へ踏み出した男を止める術は胡蝶にはなく、小さなうさぎの鳴き声をBGMに、ただただ眺める事しかできなかった。それが、不気味なほどに「あの日」の光景と重なって見えた。
 歌姫が、死んだ。胡蝶を愛してくれた、胡蝶の人形が死んだ。灰となり、消えた。それだけではない、マリアと一緒にいたあの大男、レンブラントまでもが、クリスに殺された。クロの言葉は、そういう解釈でいいのだろう。
 胡蝶を見舞いに来たあの時、クリスにかける言葉が違えば今回の悲劇は避けられたのではいか。いや、それよりもっと前。彼の元へ帰ることをごねたりしなければ、きっと何も起こらなかった。全ては胡蝶が間違えたから。そのバチが当たってしまった。全部、私のせい。

「胡蝶ちゃん?」

 急に立ち上がった胡蝶に、紬が怪訝な声を上げる。修繕をしてやろうと地面につっぷし、ぐったりとしているクロを抱き上げたロップも、同様だ。
 目に飛び込んできたのは、ロップのマスケット銃。
 それを大急ぎで拾い上げ、気付けば胡蝶は駆け出していた。足が酷く痛む。それでも、この歩みを止めることができない。色鮮やかに蘇ってくる、幼少期の記憶。最後に父と過ごした、あの日の思い出。

「いい子にしてるんだぞ」

 胡蝶の頭を最後に一度撫でたきり、父とはもう会っていない。
 もう嫌なのだ。一方的に、さよならも告げずに消えてしまうなんて。
 そんなのもうたくさん。二度と置いていかれたくない。行動もせずに、後悔だけはしたくなかった。

「ごめんなさい! これ、借ります!」
「胡蝶ちゃん!」

 紬の絶叫が聞こえる。それでも、足を止められない。
 外は、到底昼間とは言えなかった。
 二つの赤い月によって染め上げられた、薄紅色の霧の世界。
 亡霊達に支配された、彼らの世界。
 コジローの背を必死に追いかけるも、すぐに霧にかき消されてしまう。

「コジロー!」

 返事はない。マスケット銃を抱えながら、痛む足で出来る限り足早に歩いていく。
 コジローを見失った今、どこへ向かうべきなのか。見上げた先、不意に視界に飛び込んできたのは、煌々と輝く観覧車だった。電気がないはずのこの世界において、ただひとつ違和感を放つ人工の光。まだ、クリスがステージの近くにいるとは限らない。けれど、どこか確信があった。迷いは、ない。
 悲鳴と絶叫の中を駆け抜けていく。背後で何発か銃声がした。紅の蛍と、硝煙の香り。

「危ないですから、下がってください!!」

 人形達の叫び声。スーツ姿の男が、亡霊に発砲しながら住人達を案内している。

「早く室内へ! シャッターを下ろして! 絶対に開けないでください!」

 きっと、彼も騎士(キャバリアー)なのだろう。胡蝶だけが人々が逃げていく方向とは正反対に突き進んでいく。
 霧に紛れ、二色の海の中を抜けていく。
 途中、亡霊と何度か目が合うことがあった。けれど、決して襲ってはこない。彼らは意図的に胡蝶を避けているように見えた。対して胡蝶以外のものには容赦がない。
 向かっていく胡蝶は見逃しているのに、逃げ惑うものは容赦なく焼き尽くしていく緋色の獣(けだもの)達。
 確信が確証に変わる。

「あぁあぁぁぁ!!!」

 胡蝶の丁度真後ろに立っていた小さな少女に向かって、一匹の亡霊(ゴースト)が飛びかかっていく。
「伏せて!!」

 頭の中が真っ白だった。咄嗟に引き金を引く。襲い来る衝撃に、立っているのがやっとだった。天高く舞い上がっていく白い煙。これが、命を奪う重み。

 胡蝶の想像が、コジローに課してしまったもの。

 二頭身の犬の人形は、銃弾が叩き込まれた額からあっという間に青に染め上げられていった。ひとまず、目の前で誰かが命を失うという事態は避けられそうだったが、崩れ落ちていく青い塊に、胡蝶は肩を震わせ、息をするのがやっとだった。

「あ、ありがとう!」

 胡蝶に小さく礼をし、小さな少女は大勢の人形達と同じ方向へと消えていった。
 強く、ロップの銃を握りしめる。少女達の姿が見えなくなったのを確認し、胡蝶は再び観覧車へ向けて駆け出した。
 丘へ近付くにつれ、あたりは不気味なまでの静寂に染め上げられていった。
 目と鼻の先に観覧車が見える。マリアと一緒に街へ出た時と同じ。小高い丘の下から、マスケット銃を両手できつく握りしめ、遥か頭上を虚ろな瞳で見上げる。結い上げられた黒髪が、薄桃色の中、不気味に揺らいでいた。
 胡蝶以外には見向きもされず、霧の中人工の明かりを放つ不釣り合いな建造物。

 霧が、厳かに蠢く。瞳を閉じれば、楽しげな音楽までもが響いてきそうだった。
 胡蝶の記憶に焼き付いて離れない、幼き頃の幻影と重なりすぎる。

「懐かしいでしょう?」

 笑い混じりの、低い声。何の気配も感じなかった。それはほんの一瞬の出来事。抵抗する暇(いとま)も与えられず、胡蝶を背後からそっと閉じ込める男の腕(かいな)。少女の両腕に掲げられたマスケット銃を両方の手のひらで握り締めたその先から、小梅がやってみせたように黒い炎が上がっていた。
 真っ白な霧が、一瞬にして漆黒に染め上げられる。

「あなたがそうであれと望んだから、私は「これ」を選んだんですよ」

 ポロポロと剥がれ落ちていく。黒炎は決して銃を掴む胡蝶とクリスの腕を傷付けることはなく、ロップの銃だけを器用に焼き尽くしていく。やがて屈強な鉄の塊は、微細な黒い粉となり、霧の中へと溶けて、消えた。

「おかえりなさい、私の胡蝶」

 二人の隙間を阻むものは何もない。霧は胡蝶の味方をしてはくれなかった。ここは、あの頃と何も変わらない。狐の人形と二人きり。

 亡霊の哭(な)き声も聞こえない、電飾と軽快なメロディに包まれた、胡蝶のための歪な楽園。

「「これ」を選んだ……?」

 まるでクリスがこの観覧車を作り出したかのような口ぶりだ。
「ええ、そうです。城と観覧車、どちらにするか迷ったのですが……。私と胡蝶の、他でもない出会いの場所でしたから」

 クリスは、両親と訪れた遊園地の的当てゲームで獲得した人形だ。観覧車を囲むような形で、様々なゲームの屋台が立ち並んでいた、そのうちの一軒で。

「思い出すでしょう? あの頃を――あなたが、一番大切にしている時間を」
「……やめて」
「どうして?」

 閉じ込める腕は酷く優しい。喉元から漏れ出る笑い声は、おとぎ話に登場する王子様のようだ。クリスの纏う匂いと同じ。甘ったるくて、胸焼けがする。

「もう、終わったことだから」

 どれだけ望んだところで、過去には戻れない。嘆き、叫び、この世界に蔓延る霧よりも深い悲しみに暮れようとも、時を巻き戻す事など出来はしない。子供の頃の楽しかった思い出。時折蓋を開けては、そんなこともあったっけと一別するだけの宝物。
 家族三人、笑い合っていたあの頃には二度と戻れない。三人の道は既に枝分かれしており、もう二度と重なることはない。

 ようやく忘れかけていたのに、クリスは胡蝶に思い出させようとする。

 人形の世界で、不器用かもしれないが、やっと前を向いて歩いていけると思っていたのに。

「終わってなんかいませんよ」

 狐は胡蝶の幻想を終わらせようとはしてくれない。胡蝶を背後から捕らえる腕が強くなる。

「胡蝶の幸せの絶頂を、終わらせたりなんかしない。だって、「停滞」を望んだのは他でもないあなた自身だ。夢のような時間の中で永久に過ごすことができればいい。時を止めてしまいたい。仲が悪くなる前に戻りたい。そうでしょう? 」

「違う」

「いつも願っていたではありませんか。あの頃に戻りたい、もう一度家族三人で、もう一度、もう一度だけでいいから」

「やめて!」

 クリスの腕を振り払う。呆気ないまでに簡単に、クリスは胡蝶を解放した。肩を震わせながら、鬼の形相でクリスの微笑みを睨みつける。

「それと、マリアを殺したことになんの関係があるっていうの!?」

 王子様は動じない。笑顔の仮面を貼り付けて、いつもと同じ顔で微笑むだけだ。

「「あの時」の記憶に私以外の人形はいなかった。なら、「他の人形」は必要ありませんよね? ……違いますか?」
「だから、クロもコジローも……殺すっていうの。マリアと、同じように」
「ええ。生きていたって、邪魔なだけですから」

 躊躇いは、一切なかった。

「あぁ……でも、最初から殺すつもりはなかったんですよ? 胡蝶が私を一番に愛していてくれたのなら、誰も殺さずに済んだ「かも」しれませんね」

 恍惚の混じった笑みに、鳥肌が立つ。話が通じる相手でないのは、今ので重々分かった。武器を失い攻撃する手段のない今、胡蝶に取れる策は逃げることだけだ。だが、クリスがそれを許す筈もなく、胡蝶が駈け出す方向をあらかじめ予期していたかのように、亡霊は立ち塞がる。

 王子様の顔をして、姫君をダンスにでも誘うようにしなやかに。

「あなたの望みは叶えられる」

 制服姿のみすぼらしいシンデレラを迎えに来た、救世主のように。

「一緒に乗りましょう。――あの頃と、同じように」

 亡霊達の支配する霧の中、この場所だけが時を止めていた。
 ああ、観覧車が回っている。

 ここは閉ざされた、胡蝶の夢。

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