短編

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暗々裏

 花守如姫はその可愛らしい名前とは間逆の、地味で暗めの大人しい少女だった。
 ざっくばらんに切られたセミロングの黒髪に、眼鏡。顔付きも決して美しいとは言えず、凡人の代名詞ともいえるような平々凡々な容姿をしていた。性格は内気で根暗。
 如姫自身、そのことを誰よりコンプレックスだと思っていたし、もっと自分が明るくて可愛ければいいのにといつもいつも考えていた。
 そうすればこんな風に虐められなくてすむのに、と幼い如姫は半ば強迫観念のようにそう思っていた。

「よう! きーさーきっ!」
「今日もブスだな! どうやったらそんなに汚い顔になるんだよ!」
 
 ゲラゲラと下衆な笑い声を上げ髪を力いっぱいひっぱってくる近所の少年二人組に、如姫は込み上げてくる吐き気と憎悪の感情を必死で抑えた。
 一人は如姫の通う小学校でリーダーのようなポジションを取っているやんちゃ坊主、もう一人は小学五年生の彼の兄だった。

 皆が彼らの暴挙を鬱陶しく思っていたが、両親がお金持ちだというこの二人の行動に、誰一人として口出しする事は出来ず、大人達は誰も彼も見て見ぬふりを貫いていた。子供達も巻き添えは食らいたくないと、いつしか如姫の友達は一人としていなくなっていた。

 如姫は自分の事を生贄なのだと思っていた。自分はこの虐めっ子二人に捧げられた供物。
 機嫌を取る為の、丈夫な玩具。
 如姫には両親はおらず、眼のあまり見えない祖母と二人暮らしだった。
 よって、殴る蹴るの暴行をされても誰一人として如姫の身体に残った傷を気にする者はいなかった。

 世界は苦痛に満ちていて、神様なんていないのだと、そう思っていた。
 世の中は理不尽に出来ている。
 救いなんてないのだとそう、諦めに満ちた感情を抱いていた。
 その筈だった。

「ねぇ、助けて欲しい?」

 いつものように公園で少年二人に虐められていると、珍しい事に一人の少年が声を掛けてきた。

 見覚えのない顔だった。
 如姫と同年齢であろう、幼いながらも整った顔立ちをしたその黒髪の少年は、にっこりと子供にしては妙に大人びた笑顔で如姫に徐に声を掛けてきた。

 何を言われているのか咄嗟に理解できなかった。ぽかんと眼を見開いて少年を眺めていると、彼は頭の悪い子供を諭すようにもう一度如姫に対して同じ事を聞いてきた。

「助けて欲しい?」
「え……」

 だが、虐めっ子二人は黙って二人のやり取りを黙って聞いてはいなかった。
 直後、如姫の腹にぐっと蹴りが入った。

「………っ!! ぐっ……はっ……!」

 あまりの衝撃にむせ返り、如姫はその場に倒れこんでしまった。
 公園の砂が口の中に入って気持ちが悪かった。
 二人の手は緩む事はなく、黒髪の少年に啖呵を切りながらも如姫への暴挙は続いていた。

「お前誰だよ!」
「俺らに逆らっていいと思うなよ!」
「帰れよ! クソガキ!!」

 殴ってくるお前たちのほうがクソガキだ、死んでしまえ。
 そんな事を思いながら、如姫はいまだ無言でこちらを見ている少年に縋る気持ちで手を伸ばした。

「……た……け……っ!」

 叶わぬ願いと分かっていても、焦がれずにはいられない。
 いつも心の底では願っていた。誰かがこの地獄から救ってくれると。
 その誰かが訪れる事等決してないと知っていても、それでも願っていた。

「……たすけてっ!!」

 涙を流しながら力いっぱい叫んだ。
 次の瞬間、ドゴッと何かが折れるような音がして、続いて少年の断末魔が響き渡った。
なにが起こったのか自体を把握できず、如姫は目線を恐る恐る断末魔の聞こえた方へ向けた。
 そこで見たものは、完膚なきまでに虐めっ子達を叩きのめしている美少年の姿だった。

「……大丈夫?」

 あの時手を差し伸べてくれた少年が、如姫には神様に見えた。
 五月陽人。それが、やっと出会えた如姫の、如姫だけの理想の王子様の名前だった。

 * * *

 それから月日は流れ、初めて陽人と出会ってから六年が経った。
 あの時は小学三年生だった二人は気も気がつけば中学三年生になっていた。
 六年という歳月は案外長いもので、被害者と救世主という二人の関係性はこの六年間で大幅に変化していた。
 陽人は如姫と出会ったあの日に如姫の隣の家に引っ越してきたらしく、如姫と陽人は世間一般で云う幼馴染というものになった。しかし、その関係性は忠実な騎士とお姫様という呼ぶ方が相応しかった。

 気弱な如姫は相変わらず虐められ、それを陽人が保護する。

 如姫が呼べばいつだって来てくれるし、献身的な、悪く言えば狂気的な愛情に、如姫は正直困惑していた。
 一見、顔も綺麗で理知的な陽人に主導権があるように見えるが、実際に主導権を握っているのは何故か如姫のほう。
 彼がどうして如姫をそこまで大事にしてくれるのか、如姫にはいまだに分からないし、陽人にメリットもあるようには思えなかった。
 最初は如姫の方が陽人に振り回されていたはずなのに、一体どうしてこうなったのか。

「花守さん」
「っ……!?」

 物思いにふけりながら漠然と窓の外を眺めている所に、同じクラスの春日野月子に声を掛けられた。
 見目麗しく大和撫子の代名詞のような彼女は、普段は如姫とはあまり話す事はない。
 なんなんだろうと身構えていると、彼女は無言でドアの方を指差していた。
 彼女の指差す場所をよく眺めて見ると、ドアから覗く廊下に、女子達の物凄い人だかりが出来ていた。
 その様子に、顔から血の気がさーっと引いていくのを感じた。

「……あれ、五月君じゃない?」
「ありがとう、春日野さんっ!」

 どういたしまして、という月子の声を背に受けながら如姫は文字通り廊下に飛び出した。 

「五月君っ!!」

 如姫が声を上げた瞬間、あたりに静寂が満ちた。円の中心に向いていた視線が一気に如姫に突き刺さり、如姫は眩暈と吐き気を覚えた。嬉しそうな忠犬のような陽人の声が聞こえてきたのはそんな時だった。

「如姫!」

 陽人が愛しげに名を呼びながら人ごみを掻き分けて如姫の方へとやってきた。
 陽人と如姫は別のクラスだ。だから、こうやって時々陽人は如姫に会いに来る。
 それ自体はとても嬉しいのだが、女子達の羨む様な眼差しが針のように痛かった。

「どうしたの?五月君なんてそんな他人行儀な呼び方。……もしかして、俺が嫌いになった?」

「っ……! いいからこっちに来て!」

 宣言して、如姫は陽人の手を引いてその場から逃げるようにして、人気のない階段裏へ陽人を連れ出した。

「ねぇ、如姫」

「……」
「如姫」
「……」
「如姫、怒ってる?」
「……違うよ」
「如姫?」

 少々行き過ぎな、鬱陶しいぐらいの愛情。
 陽人の事が嫌いな訳がない。
 初めて会ったあの日から、陽人は如姫の理想の王子様のままだ。
 誰よりも如姫を優先してくれるし、叶う事ならこの人をずっと独り占めしておきたい。
 完璧すぎて、だからこそ苦痛だった。
 陽人は如姫よりよっぽど出来た人間だ。
 だから、こんな駄目な人間と一緒にいては、陽人も駄目にしてしまう。
 自分は陽人に頼りすぎている。
 このままではいけないのだと、如姫は最近陽人に対する罪悪感を覚えていた。
 
「……私、陽人の事が嫌い」

 心が痛かった。
 本当は大好きだと叫びたかった。
 だが、中学三年生になった今、高校生になってまでいつまでもこんなごっこ遊びに陽人を付き合わせるわけにはいかないと、如姫は心を鬼にして叫んだ。

「もう二度と顔も見たくない! 今後一切私の前に姿を現さないで!」

 きっと陽人がいなくなったら、また虐められるのだろう。
 だが、守られているだけではいけないのだ。
 それが陽人にとっても如姫にとっても、一番の選択の筈だ。
 そう、心から信じていた。

「……そっか」

 陽人の返事は、もっと反論されると思っていただけに意外にもそっけないものだった。
 彼は初めて会った時と同じような不気味な笑みを小奇麗な顔に浮かべていた。

「分かった」

 笑ってそう言う陽人に、なんとなく嫌な予感がした。
 その日の帰り、靴箱に一枚の手紙が入っていた。
 封を開け、中を確認してみると、それは屋上で待つと書かれているだけの名前もなにも書かれていないなんともシンプルなものだった。
 屋上には鍵が掛かっている筈だしなにかの悪戯だろうと思った。
 しかし、その日はなんとなく嫌な予感がしていた。
 とにかく行くだけ行ってみようと、如姫は鞄の持ち手をぎゅっと握り締め階段を駆け上がった。
 嫌な予感ほど当たるもので、普段は施錠されている筈の屋上の扉がその日は開いていた。
 ごくりと生唾を飲み込み、ドアノブを握る腕に力を込め、如姫は一気に扉を開けた。
 扉を開けた先の夕日の中に、綺麗に微笑む陽人が立っていた。夕焼けに彼の艶のある黒髪がきら きらと輝いていた。
 異界の住人かと見紛う程の妖しい美しさを纏った彼は、如姫に気が付くと顔に浮かべた笑みを更に深いものにした。

「はる……と……? なんで……」

 どうしてこんなところに呼び出したのか分からなかった。
 話がしたいならいつもみたいに校門の前で待っていてくれればいいだけの話なのに。
 疑問を抱きその場に立ち尽くす如姫を横目で見ながら、陽人は徐に屋上のフェンスにもたれかかって見せた。

「ねぇ、如姫。覚えていて」

 あの日あの時のあの瞬間を、一生忘れる事が出来ない。
 どうしてこんな事になったのか、理解できなかった。
 善意だった。
 このままじゃ駄目だと、二人とも駄目になってしまうと、変わりたいという微かな向上心と、天と地の差のある幼馴染への強烈な罪悪感からだった。

「全部、如姫のせいだ」

 如姫の顔を心底幸福そうな顔で見つめながら、陽人は最後まで笑ったまま真っ逆さまに真っ赤な夕日の中にその身を投げた。
 結果、心を痛めつけて如姫が得たものは、一生刻まれ続ける恐怖と罪悪感だけだった。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」


 強烈な叫び声を上げて、その日の朝花守如姫は目を覚ました。

 夢が覚めても現実は続いていく、如姫の悪夢は一生続き、現実こそが一番の悪夢だった。
 肩で息をしながら自分を落ち着かせる為に両手で必死に自分で自分を抱きしめた。
 かつて実際あった出来事たちの再現そのものの悪夢に、全身の震えが止まらなかった。
 あれから、二年が経過し、如姫は十六歳になっていた。高校にはなんとか通っているが、出席日数はギリギリだ。
 如姫はあれから、他人と関わる事に恐怖を覚えるようになっていた。
 そして、社会に出ることに吐き気と悪寒を覚えていた。
 性格は輪を掛けて暗くなり、ここ最近は全く笑っていない。笑えなかった。笑っていいなんて、幸せになっていいなんて、思えなかった。
 陽人は死んだんじゃない。

(私が……私が……)

 殺したのだ。

 あの日拒絶するような言葉を口にすれば陽人が死ぬ事なんてなかったのに。
 如姫が拒まなければ陽人は今も生きていたのに。

 全部、如姫のせいだ。

 死ぬ間際に告げられたあの言葉が、顔が、残像のようにこびりついて離れなかった。
 いっそのこと死んでしまいたいと思った。同じように飛び降りようとした。だが、出来なかった。
 如姫は陽人の命を奪った。だからその分生きなければならない。死ぬ事なんて、逃げる事なんて許されない。絶対に。
 生きる事が、陽人を裏切った事への罰だ。

「如姫ー? どうかしたのかい?」

 一階から、間延びした祖母の声が聞こえてきた。

「な……なんでもない」

 誤魔化すように叫び、世界を遮断するように布団に潜り込んだ。
 眠ればまた悪夢を見るのかもしれえない。
 それでも夢の中では生きていた頃の陽人に会える。
 ずっと好きだった理想の王子様だった彼に。

「は……る……くん」

 昔の愛称を噛み締めるように呟いて、如姫はそっと眼を閉じた。
 そしてそのまま眠りについた。

 *    *    *

「はるくんっ! ……はるくんっ!」

 助けを求め、必死にもがき抗い、眼に涙を浮かべて縋りつく如姫が好きだった。
 僕だけに縋り僕だけを求める僕だけの如姫が好きだった。

「大丈夫だよ、如姫」

 猫なで声でそっと抱きしめてやると、全身を震わせながらも嬉しそうに笑む如姫が好きだった。

「ありがとう、はるくん」

 僕の事を王子様だと言って懐いてくれた如姫の為に、如姫が喜んでくれるように。
 如姫の為ならなんだってしてあげた。
 ずっと独り占めしたいと思った。
 だから、わざと孤立させて、僕に縋るように仕向けた。
 僕だけしか頼れないように仕向けた。
 その度に助けてと縋ってくる如姫が誰よりも可愛かった。
 それなのに、如姫はもう二度と顔も見たくないと言った。
 顔を見たくないというくせに、今にも泣き出しそうなこの世全てに絶望したかのような顔をしていた如姫を憎いと思った。 でもそれ以上に愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて愛しくて堪らなかった。

 だから決めたんだ。
 姿が見たくないというのなら、見えない姿になって君を守ればいいじゃないかと。

 そうすれば、いつまでも片時も離れず如姫と一緒にいられる。

「ねぇ如姫、如姫は僕の全てなんだ」

 布団の上から如姫の頭を撫でながら、亡霊は甘く囁く。
 その声は届く事はないと知りながら、それでも愛を囁かずにはいられない。
 
「ずっと、一緒だからね」

 暗々裏(あんあんり)。
 気付かぬうちに忍び寄り、いつの間にやら雁字搦め。
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