短編

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鈍く痛む

「っ……」

 腹部に走る鈍痛に、少女は呻き声を上げながら身をよじった。
 脇腹から滴る血が、少女の黒い服と白い腕を赤く汚していく。
 噎せ返るような血の臭いが周囲を満たす。
 もう何度も嗅いできた筈の匂いだったのに、何故だか今日は生理的な嫌悪感を覚えた。
 少女は、そのまま人目につかない路地裏に足を引き摺りながら入ると、壁にもたれ掛かりその場に崩れ落ちた。

「く……そ……っ……」

 少女は暗殺者だった。
 貴族や金持ちから依頼され、多額の金と引き換えに邪魔な相手を殺す。華やかな社会の裏に蔓延る闇の仕事。

 少女は、この仕事について三年ほどになる。四年前親が死に、一人になった所を暗殺組織のボスに拾われた。
 そこから扱かれ今では立派な暗殺者……と思っていたが、油断した。
 入手した情報では、ターゲットは馬鹿な事に護衛をつけず領地の外れの店で買い物をしている事になっていた。
 だが、ターゲットはきちんと護衛を付けていた。
 完全に偽の情報を掴まされた。
 嵌められたのだ。

 そうと分かった時には時既に遅し。必死に応戦したものの、護衛の数が多くとてもじゃないが裁ききれなかった。
 なんとか無傷で逃げきれるかと思ったが、一瞬の隙が出来た時に、後ろから腹を撃たれた。
 続いて左肩に一発、右手に一発ずつ。
 左胸の心臓より少し上にもう一発。

 弾丸はナイフで取り除いたものの、一向に傷が塞がる様子はなく、傷からはダラダラと血が滴り落ちている。

 心臓を逸れてくれたのが唯一の救いだが、なんの気休めにもならない。
 現状は最悪だ。

 少女は、もう潮時かもしれないと思っていた。
 今年で18になる少女は、そういえば今まで良いことなんて一度もなかったなーと黒い夜空を見上げながら溜息を付いた。

 かなり意識も朦朧としており、血も収まらない。

(出血死、か)

 暗殺者の死に方しては穏やかなものだ。
 知り合いの暗殺者は、この世のものとは思えない残虐な拷問を三日三晩され続けた挙句、じわじわとなぶり殺された。
 それに比べればましな死に様かもしれない。

 お世辞にも綺麗な死に方とは言えないだろう。
 それでも楽だ。さほど苦しまなくてすむ。

 もし、少女に一端の暗殺者としての誇りがあったのなら、こんな死に際はまっぴらごめんだと思っていただろう。
 だが、少女に暗殺者としての誇りなんてものはない。
 生きるため、仕方なくしてきた事とはいえ、今でも人の命を金の為に殺めるのはあまり気の進むことじゃない。

 それでも、殺らなければ死ぬのは自分。

 殺さざるを得ない。

 目を閉じた少女は、自身の命が終わる儚い痛みを感じていた。
 だが、安らかに眠る事は許されなかった。

「そのまま死ぬ気かい? ミシェル・アンダーソン」

「……クリス……様」

 ぐっとミシェルの短い髪を掴んだ男は、無理矢理に少女の顔を上させると、今している行為からは想像のつかない、人の良さそうな温和な笑みを浮かべた。

「憐れだね、君はその程度で死ぬ程弱い女だったの?」

 血の滴るミシェルの口元を見たクリスは、口の端をにいっと歪めた。

 お前は所詮その程度だったのか。

 そんな思いがひしひしと伝わってきて、ミシェルは静かな怒りを瞳に込めながらクリスを睨みつけた。
 クリスはミシェルの反抗的な態度に楽しそうに笑った。

「そう、その眼だ。君は、……私が嫌いだろう?」

「ええそうですね。大嫌いです。殺したい程」

 皮肉げに、ミシェルは口元を歪めた。この男に、弱味を見せたら終わりだ。この男と過ごした4年で嫌と言う程、ミシェルはこの男について理解した。
 なによりも退屈を嫌う、それがミシェルを拾った男。クリス・リヴァーチェという男の全てだ。
 一見、人の良さそうな笑みを浮かべた温和な青年、しかし本性は暗殺集団のボスだ。

「だったら、生きて私を殺せばいい」

「……死にたいんですか?」

「別に?その方が面白そうだから」

 クリスはぐりぐりとミシェルの腹部に思いっきり蹴りを入れた。

「ぅっ……!!」

 衝撃で、口の中に少し血の味がした。

(これ、内臓一個潰れたかも)

 死の淵にいるからだろうか。
 どこか、ミシェルは冷静だった。
 今更臓物が一個駄目になろうが、死ぬのなら意味はない。
 むしろ潰れてしまえば売り物にならなくなる。
 その方がこの男への報復として相応しい。

 あまりの痛みに声も出せずに倒れると、クリスは屈み込んで無表情にミシェルの頬を撫でた。
 まるで愛していると言いたげな優しい仕草に、ミシェルは軽く吐き気を覚えた。

「ねえ、ミシェル。私は君を気に入っているんだよ」

「どの……口が……」

「君が私の見ていない場所で、勝手に私の許可もなく死ぬなんて許さない。君の命は私のものだ。だから、私に殺される以外の方法で君が死ぬことは許さない」

(何を馬鹿な事を)

この男は人の命をなんだと思っているのだろうか。

「私は……人形じゃない」

「嗚呼、君は人形じゃない。言う通りに動く人形なんて面白くもなんともない」

 もう一度、クリスは足を振り上げミシェルの腹部に蹴りを入れ直した。

「……もっと私を嫌えばいい。死ぬ気で足掻き、憎悪しろ。……君は、私のせいで苦しめばいい」

 どこまでもこの男は身勝手だ。ミシェルの意思なんて全く考えない。

「初めて会ったあの日から。君は、私のものだ」

 クリス・リヴァーチェは残酷な男だ。大事だと口では言う癖に、ミシェルを守ってはくれない。
 気に入っていると言いつつ誰よりも邪険に扱う。

「……嫌いです」

「知っているよ」

「大嫌いです!」

「うん」

 残った力を全て振り絞って、ミシェルはクリスの肩を思いっきり殴りつけた。鍛えられた身体に、若輩者の弟子のパンチ等全く効かないだろうが、無性にそうしたくなった。

「嫌い嫌い嫌い嫌い!!」

 幼子のようにミシェルは同じ言葉を繰り返し続けた。
 その間、クリスはなにも言わなかった。弱っているせいか、いつもより心が弱くなっている気がした。
 隙を見せてはいけないと分かっているのに、弱った涙腺は言う事を効かない。

「嫌い! 嫌い! 嫌い! 大っ嫌い!」

 涙を垂れ流しながら、ミシェルは嫌いと言い続けた。
 いつのまにか、着ていた上着を掛けてくれたようで、ミシェルの泣き顔をクリスが見る事はなかった。

 抱き留めてくる大嫌いな筈の男の腕に、ミシェルの心が酷く鈍く痛んだ。

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