地獄の底でふたりきり
20.蛇神憑きⅢ
「んぅ、……ぁ」
己の中を満たしていく暖かな感触に、か細い声がこぼれ出る。
胸で息をしながら、イヴはレボルトの首に回していた腕を離し、深く背から力なくマットレスの海へと沈み込んでいく。
それを既のところで、レボルトは己の胸に抱き込んだ。
もたらされたまどろみに、イヴはほぅと小さく息を吐く。やっと、解放される。
そのままゆるやかに眠りへと落ちようとするイヴの安堵を真っ向から否定するように、レボルトは主人を休ませはしなかった。
イヴの体をその腕の中で軽々と反転させ、ベッドの上にうつ伏せの状態で押し付け、背後から覆いかぶさる。
少女の中に埋め込まれたままの怒張は熱を吐き出してなお硬度を失ってはおらず、無遠慮に押し込まれた秘部からはジュブッという粘液の混じり合う隠微な音がした。
繰り返されようとしている情交に、イヴはギョッと目を見開く。
動揺するイヴの腹部に腕を回し、レボルトは逃げようとするイヴを縫い付けるように、深くその肉棒を主人の中へと突き立てていった。
「ちょっ、と……っ、まっ、……ぁっ! さっき……んぅ! だ……っ、だし、ぁっ、ばっか……っ!」
「何を言っているんですか。……まさか、一回で終わるとでも?」
貼り付けたような笑顔を見せる男に、ぞっと血の気が引いていく。
先ほどまでの優しさはどこへ行ったのか。イヴの何かが、一応は手加減していたらしいレボルトのスイッチを押してしまったらしい。
「ねぇ、イヴ様。――は何度、ここに注ぎ込んだんでしょうね?」
腰を掴む腕に力が込められる。
レボルトの言葉の一部が、靄がかかったようにして聞き取ることができなかった。
そんなこと聞かれても、知らない。
そう答えようとして、イヴの言葉を聞きたくないとばかりに、レボルトは身勝手に内壁を抉り取るようにして屹立を穿つ。
無様な喘ぎ声が、虚空を彷徨った。
「しら……っ、う……っ」
「ねぇ、俺が何も知らないとでも思っているんですか? ……ただ無様に、あなたが他の男に貪られる様を、指をくわえて嘆いていただけだとでも?」
「だ、からっ……、しらなっ……! んぅっ」
「……そう、でしたねっ」
ぐっと突き上げながら、レボルトは皮肉げな笑みを浮かべる。
「あなたは身勝手だ。大人しく忘れてくれればいいものを。……俺が、いままでどんな気持ちで」
何事かを口にしようとして、レボルトはそこで口を一度止めた。
思い浮かんだ言葉を振り払うようにして舌打ちを零し、背後からイヴの首筋に顔を埋め、ただ喰らうようにイヴの体を貪り続ける。
「あ……っ、そんぁっ!? まっ、ほん、にっ、いまはっ、ん……っ、れぼりゅっ! んぅっ!?」
「待ち、ません」
急に首筋に軽く牙を突き立てたレボルトに、イヴの背にはぞくりと言い知れぬ震えが駆け抜けていく。がくがくと欲望のままに身勝手に揺さぶられてしまえば、イヴに出来ることなど枕に顔を埋め嬌声を抑えることくらいのものだ。
「あなたが……っ、悪いんですよ。……俺だけがいればいいんでしょう? なら、あなたは俺をどう扱うかだけを考えていればいいんです。……そう願ったのは、他でもないあなた、なの、にっ」
ほんの少しだけ律動の速度を緩めながら、レボルトは覆いかぶさったイヴの耳元に囁きかける。
「……ねぇ、イヴ様。……もっと、俺に堕ちてくださいよ」
「じゅうぶ、んっ! おちて、っ、るから……っ!」
「足りませんよ」
「い、じわる……っ」
「……つまらないことを思い出そうとする、あなたが悪い」
不機嫌さを隠そうともしない熱を帯びた声に、ぞくりと快感が体の中を駆け抜けていった。あのいつも余裕ぶっていたレボルトが、自分に対してここまで冷静さを欠いている。必死に、なっている。求められている。
無粋を強いられた体は既に悲鳴を上げ始めている。
だが、そんなことはどうでもよくなるほどに、嬉しいのだ。
執着されていることが、ただひたすらに嬉しい。
「本当に、忌々しい」
不意にこぼされた言葉が、やけに頭にこびりついて離れなかった。
頭の中がひどく混乱していた。何が現実で、何が虚構なのか。
自分が何を思い出しかけていたのかも、全てがどうでもよくなっていく。
「……俺が好きだと言うのなら、もっと必死に懇願すればいいのに。……あの時だって」
ぼそりとこぼされた言葉は、珍しいまでに弱気なものだった。
もっとと言われても、これ以上どうしろというのか、イヴには何も分からない。
涙の浮かんだ目で必死に首を回し、背後に佇むレボルトの顔を見る。
何事かを言い返そうとして、視線が交わると同時に唇を奪われた。
「う……っ、ぐ」
瞳を閉ざし、されるがままに腔内を嬲られていく。
ずぶ、ずぶ、という下腹部から聞こえる互いの体液が混ざり合う音をどこか遠くに感じながら、背を覆う熱からもたらされる口付けに、イヴはただただ酔いしれていた。
歯列をなぞり、舌を絡め、どちらのものとも知れない唾液を必死に飲み込む。
親鳥から餌を与えられる雛のように。イヴは必死に、レボルトから与えられるものを享受していた。
混ざり合い、絡め合い、溶け合う。
いっそのこと、このまま互いの境界などなくなってしまえばいいのに。
微かに瞳を開き、イヴはレボルトの顔色を伺う。
金色を目を隠すことなく輝かせ、イヴをまっすぐに見るその瞳のなんと美しいことか。
じっと、目があうと同時に細められたレボルトの目を見ながら、イヴは思う。
レボルトの方こそ、もっと懇願すればいいのに。
レボルト曰く何の力も持たない人間の小娘風情に、もっと無様に縋ればいいのだ。
――私があの時、あなたを求めた以上に。
不意に、頭の中が鮮明になる。
欠けていたパズルのピースを、無理矢理に押し込まれたかのような感覚だった。
まどろみの中から、無理矢理にスポットライトの下へと引きずり出される。
「レボルト、こそ」
律動が、止む。
消え入りそうなイヴの言葉の先を、促すように。
「もっと、私に縋ればいいのよ」
すぐ目の前にあるレボルトの口から吐き出される吐息を、取り込むようにして。
はっと、自身を見つめる青色の底に浮かび上がった不穏なものを察したのか、黄金色が微かに見開かれる。
そうしてレボルトが何事かの言葉を紡ぐ前に、イヴは眼前にあった下僕の口を塞いだ。
聞きたくなかった。
あなたのためという言い訳も、思い出したのかと確認する言葉も、何故と尋ねる疑問符も。
レボルトが呆然としているのをいいことに、体重をかけぐるんと体制を覆し、レボルトの上に馬乗りになる。
腰を落とすと同時に、埋め込まれたままの怒張が、これ以上ないと思っていたイヴの最奥に埋め込まれていく。
膣を満たす犯されているのだという明瞭な感覚に、気を抜けばあられもない声を上げてしまいそうだった。
それを歯を食いしばり必死に堪え、イヴは眼下で間抜け面を晒すレボルトを、無理矢理に形作った笑みの仮面を貼り付け、気丈に振舞ってみせる。
あくまで主人は自分なのだと、不遜な下僕に刻み付けてやるために。
「私が、……はっ、ぅ、……っ、あの時、どんな、気持ち、……っ、だったのか……っ、あ、あなたに、分かる?」
焦らすように、前後に腰を揺らす。恨めしげにこちらを見上げる金の目を見ているだけで、酷く気分が良かった。
あの日、レボルトに奈落へと突き落とされたあの瞬間。どんな気持ちで、なすすべもなく遠ざかっていくレボルトの姿を見ていたのか。どれほど恨み、世界を呪ったのか。
許せなかった。自分だけが不幸なのだと、被害者ぶっているレボルトが。
「忘れろ忘れろって、うるさいのよ……っ! さっきから!」
「イヴ、さ……っ」
「私が、大人しく忘れてあげるような優しい女だとでも思ったの? ふ、ざけないで……よ……っ。……ずるい。……レボルトは、ずるい。……何よ、私の全てが欲しいって。そこまで言っておいて結局大事なことは何も言ってくれないって、どういうことなのよ。……前だって、そう。結局何も言ってくれない。私のことをとことん突き放して……っ! そのくせ、ずっとストーカーみたいなことしてるし。この、意気地なし……っ!」
唖然とした表情でこちらを見上げるレボルトが、面白くて仕方がない。
「忘れてなんてあげない。そんなこと、私は望んでない。私は、あなたを許さない。ぜったい、許してなんか、あげない」
この恨みも、胸の痛みも、何もかも。
一生引きずったまま、レボルトを縛り続けてやる。
「なんで、なんで、あの時突き放したりなんかしたの? どうして、私の思い通りになってくれないの!? あなたは私の下僕なんでしょう!? 逆らえないんでしょう!? 自分でそう言った癖に! なんで‥…っ、なんで、なんで‥…っ!」
目尻にたまった涙が、イヴが動くたび無様にこぼれ落ちていく。
どんどんと、塗り固められた意地という名のメッキが剥がれていく。無様に縋り付いて泣きわめくだなんて、子供のようだ。
いや、子供っぽいのは昔からだった。アダムの言うことに逆らって、好意を全部踏みにじって、そんな下衆なことを何回も何回も、嫌になる程繰り返して、色んなものを捨て去って、そうして今のイヴがいる。
「……私はっ、レボルトのおもちゃじゃない! 思い通りになんかなってあげない! これ以上振り回されるのはたくさん! だって、だって……っ、そうでしょう……!? 私は、あなたのものじゃないっ!」
ぐっと、レボルトが歯を食い縛る。
自分が何を口走っているのか、イヴには自分の現状が何もわかっていなかった。どろどろに溶けた理性は微塵も機能してはくれない。熱と高揚感に身を任せ、触れ合う肌から伝わってくるうるさいまでの心臓の鼓動に耳を傾けていた。
レボルトの胸に両手をつき、イヴは身を乗り出す。
されるがままになっているレボルトに顔を寄せ、唇同士が触れ合う寸前の距離で口を開いた。
「あなたが、私のものなの」
その瞬間のレボルトの表情を、どう形容すればいいか。
怖れ、あるいは歓喜。嘲笑、あるいは憐憫。驚愕、あるいは。
不気味に細められた唇が、イヴの言葉を飲み込んでいく。
「……ああ」
感嘆、だった。
喉の奥を震わせ、悪魔は無垢にほくそ笑む。
さも慈愛に満ちた表情で微笑みかける男に、イヴはごくりと唾を飲んだ。
「それでこそ、俺の主人に相応しい」
この時を待っていたとばかりに邪悪に釣り上げられた口角に、イヴは咄嗟に腰を引こうとする。
が、それを許すほど眼下の魔王は優しくはなかった。イヴの腰をがっちりと両手で掴み、引き摺り下ろす。抜けかけていた屹立が奥深くまで無遠慮に穿たれる形となり、イヴは声にならない声を上げ、背をのけぞらせた。
「……っ、は……っ!? ぁ……っ!」
「どうして、あなたはそんなにも可愛いんでしょうね」
レボルトが、イヴの耳元で低い嗤い声を上げる。
肉壁へと納められた剛直は熱を失わず、それどころか一層硬度を増していく。
らしくないレボルトの上擦った声、興奮を隠し切らない息遣い。
それでけで、頭がおかしくなりそうだった。
「……う、あっ」
「俺は嬉しいんですよ、イヴ様」
なすすべもなく揺さぶられながら、イヴは涙目でレボルトを睨みつけた。
必死に口を引き結んでいなければ、あられもない声が無秩序に漏れ出てしまいそうになる。
そんなに頬を緩ませて、だらしない顔をしないでほしい。
「イヴ様。イヴ、様」
「ふっ……う、ん……っ!」
もの覚えの悪い子供のように、レボルトは何度もイヴの名を呼ぶ。
恥ずかしい。見ないでほしい。そんな目で見られたら、死んでしまう。
やがて、ぐるりと世界が回転した。先ほどまで眼下にあったはずのレボルトの顔が、気付けば再び頭上にある。組み敷かれているのだと気付くのに、それほど時間はかからなかった。
「……そうですか。……ふふ、ああ、……あなたという人は。……そこまで、俺のことを想っていてくださったんですか?」
「しらな……っ」
咄嗟に顔を背ければ、顎を掴み無理やりに視線を合わされた。
反射的に開いた口を閉じる間もなく、唇を塞がれる。執拗に口内を舐る舌に、未だ勢いを失わない怒張。
分泌液と注がれた白濁が混ざり合う生々しい音が、イヴの耳を犯し続ける。
限界は、思っていたよりも近かった。同時に、レボルトも二度目の限界を迎える。
「は、ぅ……ぁ、っ」
引き抜かれると同時に蜜壺から溢れ出すドロリとした生々しい白濁の感触に、イヴは体をぴくりと体を痙攣させる。抱きしめる男の腕は、乱暴な情事に比べて酷く優しいものだった。
「疲れましたか?」
こくりと、問いかけてくる優しい声に首を縦に振る。
安心感からだろうか。どっと押し寄せてきた眠気に負けるのが惜しくて、イヴは近くにあるレボルトの首に腕を回した。抱きつき、引き寄せ、子供っぽく駄々をこねる。
「やだ」
このまま目を閉じて仕舞えば、またレボルトがどこか遠くに行ってしまうような気がして。
イヴのわがままを、レボルトは拒まなかった。
「もう、どこにもいかない? 私を一人にしない?」
「ええ」
「ずっと一緒?」
「ええ。……俺は、イヴ様のものですから」
「……そっか」
「……おやすみなさい。どうか、安らかに」
記憶に残るのは、前髪をかき分け、額に触れる柔らかな唇の感触。
「……次に目を覚ました時には、全てがあなたの望み通りに」
そんな言葉を最後に、イヴの意識はゆっくりと闇へ落ちていった。
* * * *
「……ヴ」
誰かが、名前を呼んでいた。
「イヴ……っ!」
酷く、懐かしい声だった。
だがこんな風に尖り、切羽詰まった声を聞くのは初めてかもしれないと、イヴは揺蕩う意識の中、うっすらとそんなことを思った。
「イヴ様」
耳元で、別の声が囁く。背後に何者かの気配を感じた。
心地のよい匂いに、イヴは背後に立つ男の胸に体重を掛けた。苦笑する声の主は、椅子に座るイヴの両肩に手を置き、イヴに前を向くことを促す。気だるい体に鞭を打ち、前を向く。酷く、腰が重かった。
瞼を押し上げていけば、久方ぶりに目にする父の姿がそこにはあった。狭間で目にした少年の姿ではなく、王はイヴのよく知る青年の姿をしていた。白い何もない空間の中に、一人立ちすくんでいる。
が、王の目はイヴを見てはいなかった。
険しい顔をした王は、イヴの背後を一心に睨みつけている。
「お……、とうさま」
「今なら、まだ間に合う」
厳しいながらも同情を滲ませた声で、王はイヴに語りかける。
それを拒むように、背後に立つ男は肩に乗せられていた手を動かし、覆いかぶさるようにしてその体を背後から抱きしめた。
「その男はダメだ。やめたほうがいい。その先には破滅しかない。君は、自分が何を繋ぎ止めてしまったのか、何もわかっていない。いいかい、君が下僕にしたと思っているものは――」
最後の方は、ノイズ混じりの理解できない言葉だった。
でも、そんなことどうでもいいかと、イヴは必死の形相の父を見ながら思う。
どうしてこんな顔をされなければならないのか。今、自分はこんなにも幸福なのに。
体に回された腕に手をあてがえば、低い笑い声がイヴの耳を犯す。
それだけで、重いと思っていた腹の奥が淫らに疼いた。
「ねぇ、イヴ様。あなたはどうしたいですか?」
耳元の声は、甘やかに囁く。
酷く、邪魔に思えた。
何がどうなろうが、イヴの知ったことではない。
何もかも全てどうでもいい。レボルトがそばにいてくれれば、他にはもう何もいらない。
そうだ。何も、いらないのだ。
「何もいらない」
イヴの体から、黒い影が伸びる。
頭の片隅で、重たい金属を地面に引きずるような音が聞こえた。
鈍く暗い、牢獄の奥。黄金の目をした闇の塊が、イヴを捉えて離さなかった。
「もう全部、どうでもいいのよ」
イヴの言葉を、王は呆然と見守る。
「私は、レボルトがいればそれでいい。――だから、ごめんね」
艶やかに微笑んだのを合図に、イヴの視界は黒く塗りつぶされていく。
影の中から飛び出したのは、無数の細長い影たちだった。イヴの影から伸びたそれは、王の体に絡みつき、締め上げ、肌を黒く覆い尽くしていく。
どうなろうが知ったことではなかった。この幸せを壊そうとするものは、なんであろうと全部消えてしまえばいい。
「全ては、あなたの望むがままに」
レボルトに、顔を上へと向かせられる。
顎を掴まれ、重ねるだけの口付けを落とされた。
ぼうっと、金色の瞳を見上げる。
邪悪に口角を釣り上げる男の、なんと美しいことか。
「たとえそれが、あなたを守る全てを屠ることになったとしても」
そう言って、蛇は残酷に微笑んだ。
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