短編

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ただ静かに朽ちるだけ。サンプル

関西コミティア47で頒布した、「ただ静かに朽ちるだけ。」の冒頭部分サンプルです。
内容的にはピクシブにあるのと同じです。ピクシブのやつよりこっちの方が読みやすい、かも。(2015/10/09)

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 アデーレ・ハンクシュタインには憧れの人がいる。

 十歳の時、アデーレは戦争で親を亡くした。

 隣国との戦争が頻繁に起こっていたこの国では、それは大して珍しい話ではなくありふれた悲劇だった。皆、自分のことで精一杯で、それはアデーレの家とて例外ではない。それまで親をなくすなんて可哀想、と思いながらもこれといって裕福という訳ではなく、ましてや当時まだ子供だったアデーレには何も出来なかった。せめてもの慰めに、余った食べ物を分けてやるのが関の山といったところだ。

 それでも当時のアデーレはどこか遠い、それこそ自分とは関係のない世界の話だと信じていた。
 私の家は大丈夫、そんな甘えた考えがただの過信だと思い知らされたアデーレは、最早原型を留めておらず、ただの瓦礫の山と化した家の前に、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。後から聞いた話によると敵の弾が運悪く住宅街に流れ、さらに不幸なことにアデーレの家のすぐ近くに落ちたらしい。アデーレの家だけでなく、周囲全体が一面の焼け野原となった。

 正に茫然自失。たまたま友達の家に遊びに行っていたアデーレ以外、近所の住人は全員無残な亡骸となっており、どうして自分だけが助かってしまったのかという自責の念だけがアデーレを蝕んでいた。

 だが、自責の念と悲しみだけで腹は膨れない。生きている限り人間は水と食料を求めさまよい歩き、それは10歳の少女であるアデーレとて例外ではなかった。

 母に縫ってもらった気に入りのワンピースがただのボロ切れとなった頃、アデーレは教会へと辿り着く事に成功した。運良く炊き出しにあり付けたアデーレは、さらに幸運な事に教会の運営する孤児院へ入る事が出来た。
 
 のたれ死ぬ孤児が多い事を考えれば幸運なことだったのだろうが、当時の孤児院の内情は決して良いものとは言えなかった。
 戦争で物資は不足し、十分な食料はない。

 孤児院はアデーレと同じような境遇の少年少女達が溢れていた。彼らの瞳に生気は宿っておらず、ただ息をするだけの屍。生きていながら死んでいるも同然だった。

 当時のベネーメンの戦況は絶望的。隣国の支配下になるのも時間の問題という現実で、生きる事に希望など到底持てそうもなかった。アデーレと親しくしていた孤児院の仲間が首を吊って自殺した時には、本気でアデーレ自身死ぬ事を考えた。

 そんな絶望的な状況に、ある日唐突に光が差し込んできた。晴れた日の午後、珍しく一機も飛行機が飛んでいないな、と窓の外を眺めながら呆然と思っていたそんな時の唐突の朗報。いや、朗報なんてものじゃない。

 両親を亡くし、生きる意味も見出せず、時間をただ浪費するだけだったアデーレにとって、それは奇跡にも等しかった。どう足掻いても負けるだろうと言われていたこの国が、隣国ザブヴェーニエに勝ったというのだ。

 最初は嘘だと思っていたアデーレだったが、外の騒がしさにようやく、これが夢ではなく現実なのだ、と思い知らされた。沈んでいた街は一気にお祭りムードとなり、孤児達の瞳の中にも確かな光が宿り始めていた。

 なんでも、ヴェルフリート・バルベという男により戦況がひっくり返ったらしい。顔も見た事もない、声も聞いた事のないヴェルフリートという名前の一人の英雄に、アデーレは生きる希望をもらった。もう少し、頑張って生きてみようと思えた。

 それから六年間、ベネーメンと隣国との間で戦争が起こる事もなく時間は平和に過ぎていった。復興も進み、かつてアデーレの家だった場所に街で流行りの菓子店がオープンした時は、ずっと食べたかった流行りの菓子がやっと食べられると素直に喜んでいいのか、遺族としては悲しむべきなのか、複雑な心境だったのをはっきりと覚えている。正直悲しみよりも喜びの方が大きかったのは内緒だ。

 国は活気を取り戻し、元の形へと完全ではないものの戻りつつあった。
 再び街に悲劇が訪れたのはそんな時だった。サブヴェーニエとまたしても戦争をするという噂が流れ始めたのだ。国中が再びどんよりとした空気に満たされ始め、無論アデーレを含む孤児院の中も暗い空気で満たされつつあった。

 もうあの時の子供ではない。
 何か、何でもいいから出来る事はないのか。孤児院の手伝いをして暮らしていたアデーレは焦っていた。
 また、戦争が始まる。アデーレに希望をくれたあの人も、ヴェルフリートも、当然戦争へ行くだろう。「英雄」とアデーレだけでなく国中にもてはやされていたのだ。例えヴェルフリート本人が嫌だと言ったところで、国は彼が引退する事を許さないだろう。
 まして、引退するような歳でもない。アデーレの部屋に今も大切に保管してある当時の新聞によれば、ヴェルフリートは今年で二十八の筈だ。
 まだまだ現役だろう。何でもいい。少しでもアデーレだって誰かの役に立ちたかった。
 アデーレにとってのヴェルフリート、とまではいかないが、誰かに希望を与えられるような人になりたかった。

 院長に買い物を頼まれた帰り道、街角で一枚の張り紙を目にした。ピンときた。これなら、私も役に立てるかもしれない。ちょうどそろそろ孤児院から出て一人立ちしなければならないという時期だったアデーレは、すぐさま院長の部屋へと駆け込んだ。

「院長様!」

 院長室へと険しい表情で飛び込んできた少女に、顔にいくつもの皺を刻んだ老婆は目を細めた。

「あらあら、何事かしら」
「アデーレ! また貴女はそんな風にはしたない! いいですか? レディたるものいつでも礼節を忘れる事なくおしとやかに」
「いいじゃないの、ユーリア」

 ふふふ、と椅子に腰掛け机に両肘をつけ楽しげに笑うシスター服の老婆とは反対に、扉の側に控えていた若いシスターは眉をひそめ、勢いよく扉を開け放ち中へと入ってきたアデーレを鋭い眼光で睨みつける。苦々しげな笑みを零したアデーレにひとしきり口元を押さえ笑うと、院長はユーリアと呼ばれた若いシスターを下げさせた。

 狭い院長室の中に、机を挟んでアデーレと院長だけが取り残される。机の前に立ち、スカートを強く握りしめる。なかなか話し始めないアデーレを、院長は穏やかな眼差しで見守るだけだ。

「院長様、私、ここを出て行く事にしました」

 一瞬の沈黙を挟み、院長は口元を緩めた。

「やりたい事が見つかったのね? 」
「はい」
「それで、ずっと迷っていたあなたの心を射止めたものは何かしら? よければ私にも教えてくれますか? 」

 ごくり、と唾を飲み込む。無言で頷く。反対されるかもしれない。でも、それでもやりたいと思えるものが見つかった。胸が高鳴っている。心臓の前に手を置き、数度深呼吸を繰り返す。よし、と決意を固めると、アデーレはすぅと息を吸い込んだ。

「院長様、私、看護師になります」

*  *  *

 ヴェルフリート・バルベに憧れの人などいなかった。

 当時のヴェルフリートの周りにいた人間たちは、一文字で表すなら「屑」。まさにその一言に尽きる。
 度重なる戦争で両親を亡くしたヴェルフリートという人間は、ゴミ同然として薄汚い路地裏で育った。スリに泥棒、生きる為ならなんでもやった。路地裏のボロ雑巾のようなガキに対して世間の風当たりは厳しい。背の高いシルクハットに小綺麗な燕尾服をまとった紳士、豪華絢爛な服に身を包んだ淑女はヴェルフリートを見る度に口を揃えてこう言うのだ。

「見ろ、ゴミが動いている」
「汚らわしい、生きる価値もない」

 そう言って、石を投げつけられ、踏みつけられた回数は多すぎて覚えていない。
 いつしか、ヴェルフリートの中にひとつの欲望が芽生えていた。見返してやる、のし上がってやる、お前たちが俺に強いてきたように、お願いします、許してくださいと跪かせてやる。その小綺麗な顔をドブの中に沈めてやる。今に見ていろ、懇願するのはお前たちの方だ。

 そんな歪んだ欲望を胸に秘め成長したヴェルフリートは、十六の時に軍に志願した。庶民出身、しかも最下層出身のヴェルフリートに、同じ時期に親のコネで入隊した連中の当たりは最悪だった。それでも、ストリートで暮らしていた頃に比べれば、軍の寮での暮らしは比べるまでもなく快適だった。十分な食べ物と寝床がある。それだけで十分だ。

 見返してやる、その一心で軍に入ったヴェルフリートに愛国心というものは存在しなかった。
 この国はクソだ。芯まで腐りきっている。死んだ目をした新兵は、淡々と訓練をこなしていくだけだ。中でもヴェルフリートが才能を発揮したのは狙撃だった。迷いなく的を射る姿は悪魔にしか見えない、と後に友人となるカルステンは今でも口うるさく言っているが、それはまた別の話だ。

 無表情で淡々と訓練をこなしているうちに、気付けばヴェルフリートは主席で訓練兵を卒業していた。その時の金持ちの息子達の表情を、今でもはっきりと覚えている。

 ざまぁみろ。

 殺意のこもった眼差しで、すれ違いざま口だけを動かしそう告げたヴェルフリートに、それまで散々ヴェルフリートを馬鹿にしていた連中は顔を真っ赤にして黙り込んでいた。
 訓練兵から一般兵に上がってすぐに、寮の部屋替えがあった。

「お、噂の主席くんじゃねぇか」

 ヴェルフリートが荷物を持ち新しい部屋の扉を開けると、飄々とした笑顔を浮かべた一人の男が膝を組み、二台あるベッドのうちのひとつに腰掛けていた。茶髪の男を一瞥すると、ヴェルフリートは乱雑に持っていたバッグを開いているもう片方のベッドの上に投げ捨てた。

「おいおいおい、無視はねぇだろ! ルームメイトとは仲良くしろって教わらなかったのかぁ? 主席くん」
「主席くんはやめろ」

 眉間に皺を刻みながらも振り返ったヴェルフリートに、男は歯を見せ朗らかに笑った。

「お、やっと俺を見る気になったか」
「これ以上俺に話しかけたら二度と喋れないようにしてやる」
「なんだやるのか? 一応俺はお前の次に強いってことになってんだけどなぁ」

 ぴくり、とヴェルフリートの眉が動く。

「俺はカルステン・ブラント。カールでいいぜ。同じ一般市民出身ってことで、ま、そこそこ仲良くしてもらえると助かるんだわ。主席くん」

 貴族出身じゃないだけマシか、とヴェルフリートはしぶしぶ差し出された右腕に己の右腕を重ねた。

「ヴェルフリート」
「長ったるいねぇ。ヴェルでいいだろ」
「好きにしろ」

 手を振り払い、ヴェルフリートは深い溜め息を吐きながら投げやりに背を向けベッドに横になった。これが、後に親友となるカルステン・ブラントとの出会いだった。

 それから六年後。しばらく休戦状態が続いていたザブヴェーニエとの間で、またしても戦争が始まった。何も考えず、ただ殺して殺して殺しまくった。そんな風にひたすら殺しまくっているうちに気が付けば、ヴェルフリートは「英雄」と祭り上げられていた。ヴェルフリート・バルベのおかげでベネーメンはザブヴェーニエに勝った。そういう事になっていた。

 事実、カルステンは「お前のおかげで勝ったようなもんだろ」と言い、実際国に戻ったヴェルフリートに待っていたのは、異様なまでの昇進と民衆の歓声だった。

「今回は昇進おめでとう、ヴェルフリート・バルベ中佐。聞かせてもらったよ、君のめざましい活躍ぶりは」

「ありがとうございます」

 帰還してすぐ、ヴェルフリートは軍本部に呼び出しをくらった。装飾過多な長机に三人の上官が腰掛けている。そのうちの一人が顔を上げたヴェルフリートに拍手すると同時に、男の両隣に腰掛けていた二人も拍手を始める。まるで魚の糞のような所作に、ヴェルフリートは内心蔑み笑っていた。戦地の苦しみも知らずに、こんなところで悠々自適にしていられるのも今のうちだ。

 不意に、路地裏で暮らしていた頃の記憶が蘇ってくる。一番左に腰掛けている男の顔に見覚えがあった。かつて、ヴェルフリートを跪かせた男と酷似している。いや、本人に違いない。
 男が上機嫌に手を叩く。

「疲れただろう、ゆっくり休みたまえ」
「お心遣い、感謝致します」

 めきめきと湧き上がってくる怒りを無理矢理沈め、ヴェルフリートは小綺麗な顔で笑って見せた。
 それからさらに六年の月日が流れた。街は平穏を取り戻し、ヴェルフリートやカルステン達軍人達も訓練や書類の整理を除けばのんびりとした毎日を過ごしていた。そんな時の事だ。またしても、一度は解決したはずのザブヴェーニエと間に戦争の話が持ち上がってきたのだ。

 上層部は、民衆は期待していた。ヴェルフリート・バルベという名の「英雄」に。不穏な空気が流れながらも、その不穏さはかつての比ではない。皆、どこかで思っていたのだろう。安堵していたのだろう。前回は勝てたのだ、今回だってヴェルフリートがいれば、絶対に勝てると。確かなものなどこの世には存在しない。絶対なんてありはしない。それでも国民は「英雄」に期待していた。

「今回もよろしく頼むよ、バルベ中佐」

 かつて自分をコケにしていた人間が、ヘラヘラ笑いながら懇願してくる様に悪い気はしない。

「心配すんなってヴェル。お前なら大丈夫だって」

 出陣の前夜、そう言ってカルステンはヴェルフリートの肩を叩き鼓舞した。この俺は、ここまで一人で、実力でのし上がってきたんだ。金やコネではなく、正真正銘自分の力だけでここまでやってきた。今はカルステンだっている。それなのに、何を恐れる事がある。

 そうだ、何も心配する事などない。今回だって、ちゃんとやるさ。だって俺は、ヴェルフリート・バルベは、「英雄」でなければならないのだから。

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